春色の風薫る頃

 

 気持ち悪いオタクだなっておもうんだけど
知らないうちに結構ゾッコンだったんだよね。


 城の幕が開いたら自担がいなかった日。
4年ぶりのおめでたい日に水を差さないように生きてき(たつもりでい)て、まいじゃにも出てくれて雑誌も載ってうれしくて、今の段階で先を見限ったりはしたくなかったけど、おそらく想像していることと現実はそう変わらないようで、一度気持ちを片付けないと行けないタイミングにきたなあと感じてる。

 

 福岡公演の遭遇情報にぬか喜びした日。
そりゃあいんたーねっとに落ちてる情報信じた方がいけないんだけど、いけないんだけど、期待しちゃったんだよ、パリから帰ってきたのかなって。年始たとえばほんとにパリだったんだとしても戻ってきてくれるなら許すからいて欲しかったんだよ、バカだって思われていた仕方ないけど顔が見たくて仕方なかったんだよ。信じた私も私だけど、誰だよ嘘書いたやつ。末代までうらむぞ。

 

 辞めたとか辞めてないとか以上に、いておかしくない場所に、いてほしいと死ぬほど願った場所にいなかったショックが大きくて、気持ちがびっくりするほどストーーーンっと落ち着いてしまった。

 

自担がいないと、心が踊らないんだよな。

 

 信じてたいなって思っていたところと、それでも目につくもの流れてくるものとの間で気持ちがぐらぐらと揺れて、勝手に悪夢を見ているような気持ちになってしまった。大好きだった自担のことを嫌いになってしまいそうだったから、大好きな気持ちを大好きなままに、前向きにお別れをしようと決めました。

 

 

 覚悟はしてたつもりだったんだよ。
いつその時が来てもいいように、
最後のブログの書き出しも考えてた。
今までずっとありがとう、って、
ありったけの綺麗な言葉を並べたブログ。

 

 いま、何から書いたらいいかわからない、けど
1つ言えるとしたらたぶん、
可愛らしくて綺麗なものじゃなくって
ただただ、悔しい、ということ。

 

もっと見てたかった。
できることならずっと見てたかった。
もっと前でもっとたくさん
もっともっと踊って歌って欲しかった。
マイクを持って欲しかった。
歌って欲しい曲が山ほどあった。
立ってほしい舞台があった。
着てほしい衣装があった。
毎月たくさん雑誌に載って欲しかった。
ラジオもやって欲しかった。
テレビにも出て欲しかった。
声が聞きたかった、笑顔が見たかった。
叶えてほしい夢があった。
けどいまもうこれ以上、君のことをどんなふうに見つめていけばいいかわからない。

 

 いわゆるDKラインの子達が、関西ジュニアの大きな一端を背負えるようになるかもしれないと、ドキドキワクワクした季節を超えて、また1人、また1人と、いつのまにか1人の姿も見えなくなってしまった。あけおめの幕が開いていないとわかった瞬間の感覚は多分これから先もずっと忘れないとおもう。


 決して露出が多いわけでもなければ
目立つ位置ばかりにいるわけでもないし、
ライトが当たらない場所で何回も踊っていたし、
声だって数えるほどしか聞けなかったけど、
それでも、
すこし目を離した隙にどんどん成長していく姿
見るたびにいろんな顔を見られる新鮮なドキドキ
たくさんトキメキをもらったよ。

 

 いつかこのような時が来るのはなんとなくにもちゃんと分かっていて、そのために、その時その時自分ができる全力で応援をしてきたつもりだった。それでも心のどこかで、また当たり前に次の季節が来るような気がしてたんだと、思う。きて欲しい、という気持ちも込みで、どこかで期待をしていたんだと思う。

 

 でもごめんね、たぶん諦めてたのはわたしの方だ。
雑誌に毎月載せてもらえるようにハガキやアンケート出したりしたけど、でも今の位置じゃデビューもラジオもまいジャニのトークも無理だろうなって、あれにもそれにもきっと自担は出ないんだろうなと、心のどこかで諦めてたのはわたしの方。

 

 ユニットや箱にこだわる関西担が苦手だった。メンバーやくくりにこだわってたとえ自担1人が前に出られるチャンスにも横並びじゃなきゃ嫌だって言って。なんでっておもった。それならその位置自担にくださいって何度も口からでかけた。越せそうで越せない前の背中が悔しかった。それも全部今思えばきっときたない嫉妬の一部だったんだと思い返す。苦い季節を何度も乗り越えて、それでもきっと次こそは、次こそは、といつも思って来たけど、きっと本人の方がずっと大変だったよね。


 あ〜〜〜十数年のオタク人生、酸いも甘いも満喫した!茶の間も現場厨もしたしいろんな人に出会ったし、新幹線も夜行バスも乗ったし、ご当地のご飯もたくさん食べたし、ロケ地巡りもしたし、CDもDVDもブルーレイも雑誌もグッズもたくさん買ったし、VHSとGコードの時代から録画もたくさんしたし、美容に気を使って見たりした。箱推しもしたしユニ推しもしたし個人担もしたし、自担のユニ解体も選抜漏れも週刊誌も経験した。年上も同い年も年下も応援したしJr.担もデビュー担もしたし一度はデビューも見守ったし、、今回初めて、自担の背中を見送るかもしれない。ただ、寂しいと言う気持ち、だけど、我がオタク人生に、悔いなしという気持ち。もしかしたらまた、気づいたら何かのオタクになっているかもしれないし、またひょこっと顔を出したら結局好きだ好きだ〜って騒ぎ散らすと思うけど、とりあえずこれで一区切り、気持ちを片付けようと思う。

 

世界一大好きな世界一のアイドルへ。

 

チャラいとかパリピとか散々いわれ続けたし、最近は気にしないようにしてもいろんな噂を耳にしたけど、わたしはそのやんちゃできらきらした姿に、わたしが経験できなかった青春を夢見ていました。

 

 3年前の春、辞めてしまう背中に泣きつく写真を見たときに、すごく慕われた先輩なんだなあと思ったのと同時に、きっとこの子も優しくて人懐っこい子なんだろうなあという気持ちから、目で追い始めて3年。優しくて人懐っこくて根のところは真面目だという印象はずっと変わらず、好きでいられて幸せでした。

 

この5年半の全てをリアルタイムに見守ってきたわけではないけれど、上達したダンス、表情表現。不安そうな表情が年々消えていって、自信がついたんだなあ努力したんだなあって嬉しかった。尊敬した。それがどこまで本心がわからないけど、産経新聞で語った言葉、踊れなくて怒られてばかりで嫌だった時期、それでもやめないで踏みとどまったこと。その時期を乗り越えて、楽しさを見つけられたこと。努力することの大切さを学んだこと。大好きなお洋服に出会ったのも、仕事を始めてからかなあ?好きだと思えるものに、全力投球できる姿、本当に素敵だなって思っていました。

 

 「高校卒業してやりたいことが山ほどあって、それがだんだん近づいてくるような気がして不安でなんか嫌で、でもそれを越すぐらいのワクワクがあって」って、日誌で語った柊和くん。その言葉に、ワクワクを感じつつ、不安な気持ちが消えなかったこの数ヶ月、柊和くんがやりたいと思っていたことが、今私が目にしていることだと言うなら、きっと、すっごい幸せなんだろうな。よかったね。12月ごろからざわざわといろんなことが明るみになって、気が気ではないようなところがあったし、正直今までずっと応援してきた自担が、冷たい言葉に晒されて事務所を辞めていくのはどうにも悔しくさみしい気持ちでいっぱいだけど、わたしはずっと、君が幸せでいてくれたらいいなって思います。

 

 お世辞にもかっこいいとは言えない衣装も、正直意味のわからない歌詞も、ぴっかぴかのアイドルスマイルも、求められるファンサービスもなにもかも、年頃の子にとってはきっとすこし、恥ずかしいものだったかなあ、それでもずっと、ステージの上にいてくれてありがとうね。「幼く」「可愛い」アイドルらしからぬ、派手で奇抜なお洋服の話を聞くたび、伸ばした前髪をかきあげたヘアースタイルを見たとき、ああきっと、こういうののほうがずっと、好きなんだろうなっておもって見てました。それでもずっと、アイドルでいてくれて、ありがとうね。学校終わりに仕事があって、また次の日朝から学校だったり、貴重な長期休みも全部お仕事だったり、家族で行ってた夢の国も行けてないって行ってたよね、平々凡々な生活をしてきたわたしには想像もつかない大変な世界で、ずっとずっと、頑張ってきてくれてありがとう。

 

決して楽しいことだけじゃなかったけれど、それでもずっと、たのしかったよ。わくわくしてどきどきして、たくさん元気をもらいました。今はすこし混乱しているけれどそのうち、これまでのことをすっと、心のうちにしまって、わたしもまた前を向いて頑張ろうと思います。


世界一大好きなアイドル、毛利柊和くん。

ありがとう、たのしかった。


なんか湿っぽくなっちゃったな!やだな!笑顔が似合うきみだから、わたしも笑顔でいるね!

 

 どんな道を選んでも、この先ずっと、君が誰より幸せでいてくれますように。またね!