ほんのすこしむかしのはなし

 

ひとつだけ前提としておいてほしいのは、そのしごとが悪いのではなく、わたしがそのしごとに合わなかっただけ、ということ。むきふむきとか色々あるから、全て鵜呑みにはしないでもらえたら、うれしいです。

 

 将来の夢は雑誌の編集者だった、と思いだす。夢諦めたの、いつだったかなあ。

 

 しごとをやめた。編集者になりたかったけど編集者になれなかったから、売る方になろうとおもって決めたしごとだった。

 

 24時間開いてるお店に立つしごとだった。

 土日も朝も昼も夜も盆も正月もなかった。

 残業こそ多くなかったけれど、先のことは上司を見れば明らかだった。

 

 研修で配属されたところは、比較的なごや駅から近いところだった。バスと電車に乗って土日になれば遊びに行った。愛知に友達も何人か住んでいたし同期も一緒だったからしんどかったけど頑張れた。気の強いアルバイトに無視もされたし「使えない」って何度も言われたしおそらく研修最後のあたりはもはや呆れられていたと思う。気持ち悪いくらい態度が優しくてたぶんそういうことなんだとおもった。別にしごとが死ぬほどできなかったわけではなくてそういう性格の人で、店長は「これからやっていくなかでそういうアルバイトもいるから」ってなんとかかわしてたけれどわたしはそんな風にはなれないな、とおもって見ていた。仕事をきちんと教えてくれる店長だったけれど、できるとおもって始めた仕事だったけど、なんとなくわたしの将来はこうでありたくないと感じ始めてた。息をつく間も無く新しい知識を詰められわけもわからないまましごとをしていた。もともと人見知りな性格が災いして他のアルバイトともうまく関係が作れず毎日毎日胃が痛くなりながらしごとをしていた。23:00までやっている近所の定食屋さんでたまにご飯を食べられる日が些細な楽しみだった。

 

 3ヶ月研修が終わって新たに配属されたのは東京から公共交通機関を乗り継いで2時間半ほどかかる場所だった。たった1人で突然飛ばされ、もちろん周りには誰も知り合いが住んでなかったし、近隣には男性の上司しかいないところだった。アパートから最寄り駅までは自転車で25分かかった。最寄りのショッピングセンターまで自転車で20分ほどだったけれど1人で行くものでもなかった。会社から借りられたアパートはあまりにもシンプルで、まともに布団を干すこともできなければキッチンが狭くて料理もできなかったし給湯器の調子が悪かったしBSが映らなかった。少クラとまいじゃにを生き甲斐にしていたオタクには死活問題であった。大阪まで込み込みで6時間ほどかかるその場所は、わたしに少しずつストレスを蓄積させて行くのに十二分な要素を持ち合わせていた。

 

 来月何曜日が休みになって、何日が日勤で何日が夜勤かわからない。気軽に勤務希望も出せない。勤務時間が突然変わることもある。現場のチケットも気軽に取れなければ、都内に出るのも難しく誰かと遊ぶことも難しくなって行ってた。8月後半になんとか予定を合わせて行ったアナザーの後、友達に会ったのは10月8日に富山にバンバンバーンを見に行った時だったし、10月末に池袋で遊んだ後は12月のクリパだった。休みの日はいつも家にこもって携帯を触るしかしなくなったし、テレビを見るのもしんどくなった。少し頑張って自転車で30分かかる本屋に行ったりもしたけど1人で行ったところでわたしの気持ちは晴れたりしなかった。なにより、不規則な生活をしていたせいか、何時間寝ても起きられなくなった。その上寝れば仕事の夢を見て何時間寝ても寝ても気が休まらなくなった。24時に退勤して帰宅して3時に寝れば、朝9時に起きて朝ごはんを食べてまた寝なければ仕事ができないくらい体がしんどかった。新しいお店に配属されて半年も経たずにまた異動する同期の話を聞いていつ自分にもその辞令が下るかと吐きそうになった。

 

 大学時代から友人と遊んだり何かした日にはEDiTをマスキングテープでカラフルにデコレーションしては日記をつけるのが趣味だった。新店舗に配属されたころからしごとを辞める1月までそのページはほとんど真っ白で、どんな生活をしていたかがなんとなくにもうかがえる。

 

 8月ごろから少しずつ、「やめる」という選択肢が頭の中をよぎるようになった。てんしょくを経験したことのある友達にまず第一に相談したし、大学時代おせわになった先生に連絡したら会って話をきいてくれた。それから親の連絡した。なにもなければ親にも便りを寄越さなかった私が初めて親に泣きながら電話をした。続ける自信がない、と吐露したところ最初こそ「3年は続けてみればわかるよ」と渋っていた両親も、「早く帰ってきなね」と言うようになった。しごとと体力の合間を縫ってはハローワークに通うようになっていたけれど、しごとが不規則で連休がもらえない以上地元に面接を受けに行くこともできなかった。なによりも、3年も勤めなかった会社を「やめる」ということは、社会的に「恥ずかしいこと」なのではないかという意識が私を支配していた。

 

 新しいお店で、また新しく人間関係を築くのはやっぱりむずかしかった。5年10年働いているベテランのアルバイトと、ぺーぺーだけど社員である私。心配して気にかけてくれる人もいたけれど疑心暗鬼になってしまい、常に孤独であるような気がしてしまっていた。なにをするにも気を使ってうまくしごとができなかったし、上とも気が合わなかった。頭に血が上りやすい人で相手からの強い言葉に何度も口から言葉でかけてつぐんだし、自分なりに必死になって頑張って終わらせた仕事も「自分で考えて仕事してください」と事務所に名指しで張り紙されてもうズタボロだった。こんな人の下では働きたくないと思った。どんなに必死になって仕事をしても、まっとうな成果がでなければ認めてもらえないような空気があった。もともと奥歯を食いしばる癖があったけどひどくなっていつも頭痛がしてた。店長は冷静にものを考えられる人で信頼もしていたけど自分の将来を考えて冷静にここにはいたくないと思った。2日に1回は泣きながら家に帰ったし録画したまいジャニを見ては泣きながら寝た。深夜に帰ってきて誰もいないTLを眺め、テレビを付けたら始まった日本○レビのおはよんを見ながら泣いた。年末年始は30~3日までしごとだった。大晦日23時までの予定だったけど結局帰れず気づいたらしごとしながら日付を越えていた。紅白もカウコンも見る気になれず電気をつけるのも嫌になって新年早々真っ暗な部屋で号泣しながらふて寝した。目覚めてからまたしごとだった。出勤するだけ褒めてほしかった。そういえば去年のカウコンまだ見てないや。

 

 本がすきではじめたしごとで、しごとのせいで本が嫌いになった。

 

 これは少しだけ笑える話なんだけど、やめることを口に出せたのは、11月の頭にジャニーズWESTのツアーが決まったからだった。しごとをやめて、ツアーに行こうと思った。「やめる」と決断できても、口に出せなくて、大学の時も辞めたかったアルバイトを「辞める」って言えなくておざなりにしてきたけど、今度こそ「やめる」って言わなきゃいけないと思った。背中をおしてもらった。店長に「実家に戻りたいです」って言った。1月まで忙しいのでいてほしい、という店長のお願いに辞められるならいいか、と了承した。

 

 「果たしてわたしの考えは正しいのか」が不安でたまらなくて何人もの人にしごとのことを相談してた。「続けてみたら?」っていってくれる人もいたし、「がんばったね」って優しい声をかけてくれる人もいたけど、「1年後に現状が変わってないと思うなら辞めてもいいと思う」という友だちの言葉に、心を決めた。

 

 しんそつ採用はたしかに便利な制度だしそのたった一回のチケットはとても大切なものだけど、決してそれが全てではないと思う。焦って周りにのまれて、思考がおかしくなりながら決めたしごとは結局続けられなかったけど、今は前よりもずっとしゃんとした気持ちで働けてる。みすまっちを防ぐなんてよく言ったもんだけど結局実際に働けない以上そんなものは難しい。大学時代時間に余裕があって気持ちにも余裕がある中で決めた「しごとへの指針」はきっとすごく非現実的だった。しごとをし始めてからやっとわかる。しゅうかつしてたころ、仕事頑張ってバリバリ働ける女になってヲタ卒しよう🌟っておもってた、アイドルのために働いてるなんてよく笑われるものだし気持ち悪がられるものだし、わたし自身もそれは避けたいなって昔は思ってたけど、今になって見て案外真理だなって思う。思うように現場に行けない、テレビも見れない、じゃ、仕事のストレスに加えてそのストレスが重なって、さらに追い詰められてた。それ以外にも、大学時代からずっと一人暮らしをしてますと話すと「じゃあ慣れてるんだね」ってよく言われたもんだったけど大学時代の一人暮らしと社会人になってからの一人暮らしは全然違った。大学の時は簡単に考えていたことに、何度も何度もつまずいて、結局折れてしまった一年だった。だから、ねがてぃぶに聞こえると思うけど、本当に、本当に追い込まれて、「これじゃむりだ」っておもったとき、「にげる」選択肢を持っててほしい。それはしごとからかもしれないし、アイドルからかもしれない。ただ、「にげる」ことは恥ずかしいことだって思ったりしないでほしい。きてしまうかもしれないその時のために、「逃げられる」勇気を持っててほしい。なやんだときは必ず、なやんでることを電話でもなんでも「声に出して」相談してほしい。それだけで全然気持ちが違くなる。

 

 わたしはたまりきったストレスにたえられず、しごとをやめて、地元に戻りました。すこしゆっくり過ごして、いくつか現場に行って、この春からまた地元で働きはじめました。慣れない車の運転には四苦八苦しているし、、ざんぎょうこそあるけれど、土日にお休みをいただけて、ジムに通ったり土日にはお弁当の御惣菜をつくったり、なにより地元の友だちと毎週のように顔を合わせて遊べるようになった。来月の予定が少しずつ埋まっていくのが嬉しい。今は覚えることも多いし大変だけど、いつも「ゆっくりでいいから」「ミスしても大丈夫だから」って言ってくれる人たちで、まえのしごとで私たしか、こんなこと言われたことなかったなあなんて思ったり、朝何気なく母に「しごとやめてよかったね」っていわれて「たしかにそうだな」ってうなづいた。

 

 将来の夢はかなえられなかったけど、余暇の時間でなにか、自分を叶えられるようなことが出来たらいいな。

 まえのしごとをしていた時期、何度も何度もしんどい相談に乗ってくれたお友達ありがとうございました…わたしげんきです!今日もとーわちんがかっこよくて最高!いえーい!