11月は僕が一番好きな季節

 


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▽ 2016.10.08-10.25 ジャニーズフューチャーワールドin梅田芸術劇場
▽ 2016.10.30 体育会TV収録
▽ 2016.11.30-12.25 Xmas show 2017
▽ 2016.12.24-12.25 ジャニーズWEST「24から感謝届けます」(京セラドーム大阪)
▽ 2016.12.03 炎の体育会TV O.A
▽ 2016.01.03-05.06 ジャニーズWEST LIVE TOUR「なうぇすと」(横浜/福井/福岡/宮城/静岡/大阪/北海道/広島)
▽ 2017.01.08 まいど!ジャーニー 新春拡大SP 第1回まいジャニスポーツ大会
▽ 2017.03.04 炎の体育会TV O.A
▽ 2017.03.04-27 春のSHOW合戦
▽ 2017.04.30 関ジュ日誌 初登場
▽ 2017.05.03 ジャニーズJr.祭りin大阪城ホール
▽ 2017.07.15-09.10 関ジャニ∞LIVE Tour「ジャム」(札幌/大阪/名古屋/東京/福岡)
▽ 2017.07.24 月刊TVfan「めちゃかん」
▽ 2017.07.30 A.B.C-Z 5周年ツアー in大阪城ホール
▽ 2017.08.26 産経新聞 関西版夕刊連載「ごっつええやん」
▽ 2017.08 ラジオ関西「関西ジャニーズJr. とれたて関ジュース
▽ 2017.10.21 炎の体育会TV O.A
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 こうして記憶に鮮明なものだけ選び出しても、この1年もまた、ギュっといろんなことが詰まった充実した1年だったかなあと振り返る。

 

 1年前、突然舞い降りた地上波TV収録の知らせ。400m走の選手に選んでもらったこと、それに選ばれるだけの力を持っていたことを知れたこと、この収録のためにぴっかぴかのスパイクをお母さんに買ってもらったこと(笑)、得意のアクロバットを披露してそれをO.Aしてもらえたこと。クリパでは大きな見せ場こそ無く悔しい思いを抱えた冬だったけれど、またひとつお兄ちゃんの顔をするのを見られた。年始からはなうぇすとツアーに帯同、アリーナクラスの会場で踊る柊和くんは小さい()体をめいっぱいに広げてきらきらが最大級に伝わってくるから好きだ。以前にくらべて、お兄ちゃんたちとの密な交流が増え始めた季節。そういえばシンメがホテル同室だった。コンサート中はアイコンタクトヤクザのくせにホテルでは喋らないらしい。学校があるから仕方ないけど名古屋公演に出られなかったのはまた悔しかった。削ることができる要因として考えられてるのって淋しいものだなと思った。ツアーが終わるころには高校三年生になってたね。その間に、また春の松竹座公演。相変わらずなかなか大きな出番をもらえないことにもだもだとした気持ちを抱えたけど、コントにも出演。幼稚園児役に挑戦したり、大晴くんと「withJ」をやったりと思えば、アンダルシアやWaterdropでは吃驚するぐらい大人の顔をしたり、LOVEの王子様のような笑みはずっと忘れない…。他関西Jr.メンバーと別れてなうぇすと静岡公演に立ったり、忙しい春だったね。春と体育会TVのOAが重なっていて、宣伝こそさせてもらえなかったけれどなわとびのジェスチャーをしてきたときには愛しさと健気さに頭を抱えた。4月30日は関じゅ日誌記念日。その前に晴太郎が日誌に初登場していたから前振りはあった分落ち着いてはいたんだけれどそれでもドキドキしたし本当にうれしかった。ギュギュっとつまりに詰まった文章はDKらしい眩しさに溢れていたなあ。正直てっきり今年も松竹座に出ると思っていた夏。(ポスターに顔が無い時点で不安は多少あったけれど)。関ジャニ∞さんのバックにつかせてもらったこの夏は、いろんなところからいろんな声が聞こえたけれど、新鮮でワクワクして、大好きな夏の思い出の一つになりました。曲にピッタリとはまった衣装を着せてもらってドームを走りまわる姿、アクロバットに向けられた大きな歓声、素敵だったなあ。この夏しきりに「水の演出が好きだった」という旨の話をしていて本人にとっても楽しかったんだろうなーと。7月24日はとわせー記念日!!ついにきた!待っていたこの日を!!!去年夏のDKめちゃかんの流れで来るかと思っていたのに来なくて悲しみを抱えた夏から1年越しのめちゃかん。編集部の執念すら感じた(笑)めちゃかんの記事、見たかった浴衣、読みたかった対談、(至極近所だと思うけど)初めての雑誌外ロケ、大好きなお兄ちゃんとの4ショットも込みで、本当に本当に今も特別で宝物!なによりもお互いにこんなに気を許せる相手がいて羨ましいなあ良かったなあと思えるほど二人の距離感がしっかり伝わってきて嬉しかった。楽しい今年の夏は立て続けにラジオ。ずっととれ関さん宛にハガキを送っていたのがようやく叶った夏。7月に大晴と晴太郎がお先にラジオをしていたのを羨ましいな悔しいなとおもって聞いていたからラジオ廻ってきて本当にうれしかった。それもなかなか見ること聞くことのできない先輩とのラジオでおじさんにおじさんって言われた。人生初ラジオ、たくさんフォローしてもらった部分もありながら、甘えん坊で年下らしい一面を垣間見た。先輩を下げることなくちゃんと立てられる優しさも知れてよかったな。元々気の優しい子なんだろうなあとは思っていたけれど、それをラジオでまた少し確信に変えることができた。8月26日は産経連載。今までのこととこれからのことと、正直聞ける機会が滅多になかったから、聞けてうれしかった。もちろんどこまでが真実でどこまでが嘘かなんてわからないけど、高校生になるまでの期間の話(決して前に出てこなかったわけではないと思っているけど、同期が踊れて前に選ばれていくことへ本人が抱えていた悩みとこちらが考えていた部分がなんとなくにも一致していたような気がする)、高校生になって楽しくなってきたときからの話(この期間のめきめきと成長していく、どんどん吸収していく姿を見てきたから合点がいった)、好きなものに興味をもって、好奇心でずんずん前に進んでいくところ、私もそういうもの見つけたいなあって、羨ましくも思った。そして今年の10月は1年越しの体育会TV。選手には選ばれなかったけれど久々の地上波TV。この他雑誌と、まいジャニ。決して出演回数は多くなかったけれどはなわ回ではトークに読んでもらってまたたくさん、楽しそうな顔をみることができたな。

 

 1年間、嬉しかったことも悔しかったことも全部込みで、やっぱり楽しかった。

 

 「卒業してやりたいことが山ほどあってそれがだんだん近づいてくるような感じがして不安でなんかイヤででもそれを越すくらいのでっかいワクワクみたいなのがあって」という日誌の一文をずっと噛みしめて噛み砕いています。こちらが勝手に悩んだって考えたって答えは本人しか知らないし、そんなものが全て杞憂に終わってほしいと願うばかりだけれど、去年また今年と同じようにこの日にブログを上げた時とは、やっぱり状況が変わって来たよなあ、なんて案じざるを得ないのが最近です。ここまできたら、もう本当に背水の陣で、1秒でも長くステージに、居てくれたらいいなあと思います。柊和くんが、卒業の不安も越えるくらい抱えるやりたいことってどこにあるんだろうなあ。それが全部、叶うといいなあ。願えるのはそれだけです。なんだかネガティブにばかり聞こえる話をしてしまった。

 

 全部オタクのエゴで、オタクの憶測だけれど、地上波のTVで400mを走ったこと選ばれたこと、先輩のツアーに全国帯同させてもらえること、特技のアクロバットが周りからも信頼されていること、ドームで浴びた歓声、雑誌に呼んでもらえること、トークに呼んでもらえたこと、小さなことかもしれないけど全部全部、柊和くんの自信に繋がってたらいい。ごめんね諦めてないからさ、その自信でもっともっと、突っ走ってきてほしいなあ。ごめんね口うるさいオタクで、成長した柊和くんのパフォーマンス、もっともっと見たいから、そんなチャンスに、これからも恵まれますように。


 17歳、18歳。今が楽しいと思う気持ち、これからへの不安と葛藤、気持ちがヒリヒリする時期だね。柊和くん自身が、正しいと思える選択ができますように。やりたいことがたくさん叶いますように!上から目線でごめんね!老害ババアだからすぐ世話焼きたくなっちゃうけど、柊和くんがやりたいことを一番に叶えてほしいなっていつも思っています!改めて、お誕生日おめでとうございます。今日というこの日も、アイドルでいてくれてありがとう。これからの一年が、実りあるものでありますよう。応援しています。

 


 "いつか来てしまうかもしれないその日を憂うより、いつか来るその日をたとえ僅かでも期待していたいし、今を精一杯応援できるファンでいたいです。改めて、お誕生日おめでとう。17歳の一年が、16歳の一年よりもっともっと素敵なものでありますよう。高校生活、楽しめよ〜〜〜〜(婆)!!"

 

 一年前のブログに書いた気持ちを、忘れずにいたい、自戒の意味も込めて。

 

 

 

推しが卒業するらしい

 

推しが卒業するらしい。

 

 寝耳に水というか、晴天の霹靂というか、本当にその瞬間はあまりにもナチュラルに、あまりにも突然私に降りかかってきた。

 

推しが年内での卒業を発表したらしい。

 

 にわかに信じがたい言葉の数々がタイムラインを流れていった。少し前からそのような噂は耳にしていたけれど、誰を応援していてもきっといつかは訪れる卒業という瞬間が、正直思っていたよりもずっとはやく訪れてしまったらしい。

 

 推しが年内で乃木坂46を卒業する。

 

 私の本業はジャニオタであるし、乃木坂46に対しては握手会にもいかないいわゆる茶の間であったけれど、伊藤万理華という人の才能に惚れた1人のファンとして、この度の彼女の卒業はあまりにもショックである。


 『気づいたら片想い』から乃木坂46に気持ちを注ぎ始め、冠番組を初めて見た日にひな壇に座っていた万理華を一目見て好きになった。なぜだかわからないけど、私はこの子が好きだと思った。伊藤万理華という人に、気づいたら片想い、していたわけだ。

 

 まりっか17をはじめ、個性的な私服もその世界観も、彼女の実力や発想力表現力はしばしば内外から一目置かれるものだった。(とおもう。おたくのひいき目でないことを祈る)ある意味アイドルらしからぬところで、彼女はその才能を発揮していたのかもしれない。そうして彼女の才能が認められていく反面で、その結果が決して「選抜」や「福神」というところに結びついていかないもどかしさを、いつも抱えていた。MVなどの乃木坂46内の序列に関しても、メディア露出という側面で見ても、「選抜」に入るということは、やはり大きな意味を持ってしまう。悲しくも。きっと伊藤万理華さん自身も、アイドルらしからぬ「個性的」である自分個人が自分らしく輝ける嬉しさと、乃木坂46としての自分が決して前列に進めないことへのもどかしさを感じていたのではないかな、と考えて止まない。どん底みたいに、辞めたいと思ったことが、何度も何度も、あったんじゃないかなあとおもう。あくまで推測だけれど。そしてそれさえも、アイドルの世界では1つの作品として世に放たれた。裸足でSummerの特典映像として収録された伊藤万理華さんと井上小百合さんの「いくあてのない僕たち」は、選抜とアンダーを行き来する2人に重ね合わせずにはいられないもので、何度となく気持ちを重たくしたものだった。その歌やMVがたくさん評価されることに、嬉しい気持ちと、なんとも言えぬような気持ちを抱えざるを得なかった。それは私たちファンに伝わるくらいのものだから、本人たちは本当により強く、そのことを感じていたのではないかなあ。

 

 万理華さんより少し先に、同じグループの中元日芽香さんが卒業を発表した。私は彼女のパフォーマンスがとても好きであったけれど、彼女もなかなか選抜に入れないところで戦う内の1人であった。中元日芽香さんは卒業に関する8/7のブログでこう語った。

 

「 私、アイドルとして
優秀ではなかったと思うんですね。
 なかなか結果は出さないし
メディアにも頻繁に出るわけでもないし
見ていてモヤモヤする方も
沢山いらっしゃったのではないかなと。」


 日々アイドルを目にしている我々からしてみれば、推しや自担が頑張っていること、努力していることは十二分に理解しているし、決して安易に、自分の応援している相手が「優秀ではない」なんて思ったりしないんだけれど、アイドル本人に、そう思わせてしまうシステムなのだと、選抜という制度を通じて、中元日芽香さんの卒業を通じて考えた。アイドルとして優秀って、なんなんだろう。メディアに出ることだけが、選抜されることだけが全てじゃないけれど、ある側面から見たらきっと、それが全てなのだと。だからきっと、中元日芽香さんにとっても、そして推しである伊藤万理華さんにとっても、この5年間はある意味本当に、あまりにも長い、自分との戦いだったのではないかなとおもう。インフルエンサーで万理華さんは本当にたくさんの人の目に止まったと思っているし、個展もソロでのCMも決まって、ようやく、ようやく伊藤万理華さんという存在がもっともっと前に出てくる、これからだと思っていたところの、卒業。長かったね。5年間は。本当に、お疲れ様でした。とにかく彼女にはどんな形でも、幸せになってほしいとおもう。

 

 Jr.も女子ドルも応援していると、卒業を発表されることは良いことなのかとかどうとかなんとかいう議論をよく目にするけど、どっちにしたって辛いものは辛い。年末までのこの期間を、どのような気持ちで推しを見守れば良いかわからないし、年末以後どのような気持ちで乃木坂46を見つめられるだろうかとおもう。この年末までの2ヶ月がなんとなく、うまく言えないけれど、悪く言えば、執行猶予とでも、いうだろうか、最後の日までの時間を与えられてることは、ある意味で酷のような、そんな気が来てしまっている。諦めの悪いファンでごめんね。3期生という新しい風が入ってきたけど、万理華はそんな年齢だという感覚もなかったし、正直、正直なところ、ずっと、乃木坂46という場所で、活躍の場をもらうことなんか、いくらでもできるとおもうから、だからこの卒業が、万理華さんにとって幸せなのかなあって、ちょっと不安になってしまうんだよ。諦めの悪いファンでごめんね。これからだ、と信じた今このタイミングでの卒業を決断した万理華、かっこいいよ、きっとこれからも、万理華は万理華らしくいてくれるよね。

 

 それでもわたしは、伊藤万理華さんが、乃木坂46を卒業して描く夢、叶えたい夢があるというなら、わたしはそれを応援したい。アイドルとしての伊藤万理華さんが本当に好きだったから、素直に前を向くまでには、まだきっと時間がかかるけど、わたしが惚れた伊藤万理華さんのたくさんの才能が、もっともっと広いところで認められる世界を見たい。そのためのスタートだと、信じてる。いつかできるから、今日できるよ。ありがとう伊藤万理華さん。お疲れ様でした。年末までの短い期間も、そしてこれから先も、活躍を楽しみにしています。

 

 

 

そつぎょうしきをしよう

 


担降りしてもう1年以上も経つんだし最近のツイートはWESTのうの字も出ることがかなり少なくなっていたから、今更こんなことを書くのはなんだかおかしな感じもするのだけれど、最近ストンッと気持ちが落ち着いたな、と思い、なんとなく筆をとるに至りました。


一番大きなきっかけは、24コンに行けなかったことだと思う。24コンに行けなかった人なんて何万もいるわけであるし、そこまでだったと言われればそうなんだと思うんだけれど、24コンに行けなかったことで、わたしは完全にWESTに対して当事者で無くなってしまった、という感覚があった。担降りをしたのは去年の春で、もうあんまり呟いたりもしなかったけれど、雑誌の切り抜きは全部保存してあったし読んでいたしリリース系も全部買っていたしコンサートのレポもそれなりに読んでいたし、他のグループからWESTの魅力にはまっていく人を見ては心踊らせてた。

 

 その日は仕事でどうしても行けなかったのだから仕方なくて、24コンに対して嫉妬とか悔しさとかっていうものは別にないんだけれど、WESTにとって、WESTのファンにとって大きな大きな節目になったそのコンサートに行けなくて、WESTに対する気持ちが完全にストンっと落ち着いてしまった。前述したような切り抜きを取っておくこともレポを読むことも心踊らせることもほとんどなくなってしまっていた。

 

 四年半背負った神山担の肩書きを降ろすのに半年悩んだ。Jr.のときからずっと、デビューしてからも、なんとしてでも、てっぺんに立って欲しいと思って、精力的に応援し続けて来た、大好きな7人だった。その7人の、一区切りとも言えるようなコンサートを見られなかった。今も7人が好きなことに変わりはないけれど、気持ちを落ち着けて、少し離れたところから、見守れそうなところに来た、と、おもう。

 

 なうぇすとの横アリと名古屋公演に入った。自担が出ているところは基本的に自担のことしか見ていないけれど、今回のコンサートは出ていない部分も多かった。ラキセの時は自担が出ていなければ神山くんのことを見ていたけれど、今回のなうぇすとで、わたしは久しぶりに「どこを見ていいかわからないかもしれない」という感覚に陥った。これは特にこの人!!!と思って応援しているわけではなくふわっと好きでコンサートに行った時のような時のそれと同じ感覚で。横アリから名古屋の間は1ヶ月ちょっとしかなかったはずなのに、WESTをみてなんだかとても久しぶりのような初めましてのような、わたしの知っているWESTではないような、そんな感覚さえした。名古屋公演には自担が出演しておらず、外周に来たメンバーを代わる代わる視界に入れて楽しんでた。確実に、少しずつ、気持ちが離れていたんだと思う。

 

 この間切り抜きを片付けた。5年分の切り抜き、クリアファイル20冊くらいあった。6人の時の、4人の時の切り抜きを久々に広げて、じんわりと気持ちが解けるような気がした。やっぱりあの頃が、どうしようもなく好きだった。京セラドームで披露されたJr.時代の曲、当時の記憶ばっかり蘇る。擦り切れるほど再生した2011の鼓動も、12の春松竹に行けなかったことも、12の少年たちに初めて大阪遠征して初めて神山くんの姿を見て絶滅黒髪少女する神山くんを見たことも、12の優馬ファンミーティングに呼ばれなかったことも、12の冬映画に出られなくてすこしだけ涙をした話を聞いたことも、13の元旦公演お知らせメールに名前がなかったのに結局出演したことも、13のあけおめで重岡くんにはソロ、ツインにはミシピがあったのに神山くんには何もなかっことも、13の春「寝る前にお菓子を食べてしまう」の言葉通りにぷにぷにだったことも、映画に出られないけど少クラのワンコーナーには呼ばれて映画の宣伝するメンバーの後ろで小さく拍手する姿も、全国ツアー徳島公演でお誕生日祝ってもらって話した言葉も、ツキノミチの歌声も、オーラスのビグゲで見せた目も、そのあと雑誌で語った言葉も、ANOTHER大阪と東京で役が変わらなかった悔しさも、大阪公演で入水自殺した廉くんを神山くんが抱っこしてくるシーンをカットされたことも、13の冬の公演が平日夜だったことも、カウコンのことも、あけおめのことも、SHARK6話のことも、2月5日のことも、4月23日のことも、一発めぇのことも、パリピポのことも、、、思い出したらきりがないほど、駆け抜けた5年間が、楽しかったことも悔しかったことも、わたしは好きすぎたんだな。

 

 わたしは自担がアイドルでいてくれる限り、今を楽しんで、未来を見ながら応援できるオタクでありたいと思っている。過去のことをどうたらこうたらと引っ張り出し始めた時点で、それは私にとっての理想のオタク像ではない。昔はこんなことがよくて、でも今はこうで、と小姑のように評論家じみたことを口にした瞬間が、きっと潮時なのだと。だからわたしは、6人の、4人の7WESTと、7人のジャニーズWESTのすこしの記憶をそっと仕舞いこんで、24コンの円盤の発売を間近に控えた今日に、わたしだけの卒業式をしよう、とおもう。能動的に積極的に、リリースや雑誌やメディアを追いかけるのは、とりあえず24コンで一区切り。

 

 7人が好きだ。勝手ながらこれからも未来しかないと思ってる。神山くんが好きだった。絶対に初めから無理って言わないし、なんだかんだそつなく全部こなすように見えるけどすべて努力に裏付けられたもので、その努力を決して蔑ろにしない姿に憧れていたし尊敬していた。5年間、デビューを含め見守らせてもらえた時間はわたしに取って本当にかけがえのない時間でしたありがとう。これからの未来にも、幸多きことを願って筆を置きます。24コンの発売たのしみだなあ。なんだろうなこのブログ。

 

 

 

ほんのすこしむかしのはなし

 

ひとつだけ前提としておいてほしいのは、そのしごとが悪いのではなく、わたしがそのしごとに合わなかっただけ、ということ。むきふむきとか色々あるから、全て鵜呑みにはしないでもらえたら、うれしいです。

 

 将来の夢は雑誌の編集者だった、と思いだす。夢諦めたの、いつだったかなあ。

 

 しごとをやめた。編集者になりたかったけど編集者になれなかったから、売る方になろうとおもって決めたしごとだった。

 

 24時間開いてるお店に立つしごとだった。

 土日も朝も昼も夜も盆も正月もなかった。

 残業こそ多くなかったけれど、先のことは上司を見れば明らかだった。

 

 研修で配属されたところは、比較的なごや駅から近いところだった。バスと電車に乗って土日になれば遊びに行った。愛知に友達も何人か住んでいたし同期も一緒だったからしんどかったけど頑張れた。気の強いアルバイトに無視もされたし「使えない」って何度も言われたしおそらく研修最後のあたりはもはや呆れられていたと思う。気持ち悪いくらい態度が優しくてたぶんそういうことなんだとおもった。別にしごとが死ぬほどできなかったわけではなくてそういう性格の人で、店長は「これからやっていくなかでそういうアルバイトもいるから」ってなんとかかわしてたけれどわたしはそんな風にはなれないな、とおもって見ていた。仕事をきちんと教えてくれる店長だったけれど、できるとおもって始めた仕事だったけど、なんとなくわたしの将来はこうでありたくないと感じ始めてた。息をつく間も無く新しい知識を詰められわけもわからないまましごとをしていた。もともと人見知りな性格が災いして他のアルバイトともうまく関係が作れず毎日毎日胃が痛くなりながらしごとをしていた。23:00までやっている近所の定食屋さんでたまにご飯を食べられる日が些細な楽しみだった。

 

 3ヶ月研修が終わって新たに配属されたのは東京から公共交通機関を乗り継いで2時間半ほどかかる場所だった。たった1人で突然飛ばされ、もちろん周りには誰も知り合いが住んでなかったし、近隣には男性の上司しかいないところだった。アパートから最寄り駅までは自転車で25分かかった。最寄りのショッピングセンターまで自転車で20分ほどだったけれど1人で行くものでもなかった。会社から借りられたアパートはあまりにもシンプルで、まともに布団を干すこともできなければキッチンが狭くて料理もできなかったし給湯器の調子が悪かったしBSが映らなかった。少クラとまいじゃにを生き甲斐にしていたオタクには死活問題であった。大阪まで込み込みで6時間ほどかかるその場所は、わたしに少しずつストレスを蓄積させて行くのに十二分な要素を持ち合わせていた。

 

 来月何曜日が休みになって、何日が日勤で何日が夜勤かわからない。気軽に勤務希望も出せない。勤務時間が突然変わることもある。現場のチケットも気軽に取れなければ、都内に出るのも難しく誰かと遊ぶことも難しくなって行ってた。8月後半になんとか予定を合わせて行ったアナザーの後、友達に会ったのは10月8日に富山にバンバンバーンを見に行った時だったし、10月末に池袋で遊んだ後は12月のクリパだった。休みの日はいつも家にこもって携帯を触るしかしなくなったし、テレビを見るのもしんどくなった。少し頑張って自転車で30分かかる本屋に行ったりもしたけど1人で行ったところでわたしの気持ちは晴れたりしなかった。なにより、不規則な生活をしていたせいか、何時間寝ても起きられなくなった。その上寝れば仕事の夢を見て何時間寝ても寝ても気が休まらなくなった。24時に退勤して帰宅して3時に寝れば、朝9時に起きて朝ごはんを食べてまた寝なければ仕事ができないくらい体がしんどかった。新しいお店に配属されて半年も経たずにまた異動する同期の話を聞いていつ自分にもその辞令が下るかと吐きそうになった。

 

 大学時代から友人と遊んだり何かした日にはEDiTをマスキングテープでカラフルにデコレーションしては日記をつけるのが趣味だった。新店舗に配属されたころからしごとを辞める1月までそのページはほとんど真っ白で、どんな生活をしていたかがなんとなくにもうかがえる。

 

 8月ごろから少しずつ、「やめる」という選択肢が頭の中をよぎるようになった。てんしょくを経験したことのある友達にまず第一に相談したし、大学時代おせわになった先生に連絡したら会って話をきいてくれた。それから親の連絡した。なにもなければ親にも便りを寄越さなかった私が初めて親に泣きながら電話をした。続ける自信がない、と吐露したところ最初こそ「3年は続けてみればわかるよ」と渋っていた両親も、「早く帰ってきなね」と言うようになった。しごとと体力の合間を縫ってはハローワークに通うようになっていたけれど、しごとが不規則で連休がもらえない以上地元に面接を受けに行くこともできなかった。なによりも、3年も勤めなかった会社を「やめる」ということは、社会的に「恥ずかしいこと」なのではないかという意識が私を支配していた。

 

 新しいお店で、また新しく人間関係を築くのはやっぱりむずかしかった。5年10年働いているベテランのアルバイトと、ぺーぺーだけど社員である私。心配して気にかけてくれる人もいたけれど疑心暗鬼になってしまい、常に孤独であるような気がしてしまっていた。なにをするにも気を使ってうまくしごとができなかったし、上とも気が合わなかった。頭に血が上りやすい人で相手からの強い言葉に何度も口から言葉でかけてつぐんだし、自分なりに必死になって頑張って終わらせた仕事も「自分で考えて仕事してください」と事務所に名指しで張り紙されてもうズタボロだった。こんな人の下では働きたくないと思った。どんなに必死になって仕事をしても、まっとうな成果がでなければ認めてもらえないような空気があった。もともと奥歯を食いしばる癖があったけどひどくなっていつも頭痛がしてた。店長は冷静にものを考えられる人で信頼もしていたけど自分の将来を考えて冷静にここにはいたくないと思った。2日に1回は泣きながら家に帰ったし録画したまいジャニを見ては泣きながら寝た。深夜に帰ってきて誰もいないTLを眺め、テレビを付けたら始まった日本○レビのおはよんを見ながら泣いた。年末年始は30~3日までしごとだった。大晦日23時までの予定だったけど結局帰れず気づいたらしごとしながら日付を越えていた。紅白もカウコンも見る気になれず電気をつけるのも嫌になって新年早々真っ暗な部屋で号泣しながらふて寝した。目覚めてからまたしごとだった。出勤するだけ褒めてほしかった。そういえば去年のカウコンまだ見てないや。

 

 本がすきではじめたしごとで、しごとのせいで本が嫌いになった。

 

 これは少しだけ笑える話なんだけど、やめることを口に出せたのは、11月の頭にジャニーズWESTのツアーが決まったからだった。しごとをやめて、ツアーに行こうと思った。「やめる」と決断できても、口に出せなくて、大学の時も辞めたかったアルバイトを「辞める」って言えなくておざなりにしてきたけど、今度こそ「やめる」って言わなきゃいけないと思った。背中をおしてもらった。店長に「実家に戻りたいです」って言った。1月まで忙しいのでいてほしい、という店長のお願いに辞められるならいいか、と了承した。

 

 「果たしてわたしの考えは正しいのか」が不安でたまらなくて何人もの人にしごとのことを相談してた。「続けてみたら?」っていってくれる人もいたし、「がんばったね」って優しい声をかけてくれる人もいたけど、「1年後に現状が変わってないと思うなら辞めてもいいと思う」という友だちの言葉に、心を決めた。

 

 しんそつ採用はたしかに便利な制度だしそのたった一回のチケットはとても大切なものだけど、決してそれが全てではないと思う。焦って周りにのまれて、思考がおかしくなりながら決めたしごとは結局続けられなかったけど、今は前よりもずっとしゃんとした気持ちで働けてる。みすまっちを防ぐなんてよく言ったもんだけど結局実際に働けない以上そんなものは難しい。大学時代時間に余裕があって気持ちにも余裕がある中で決めた「しごとへの指針」はきっとすごく非現実的だった。しごとをし始めてからやっとわかる。しゅうかつしてたころ、仕事頑張ってバリバリ働ける女になってヲタ卒しよう🌟っておもってた、アイドルのために働いてるなんてよく笑われるものだし気持ち悪がられるものだし、わたし自身もそれは避けたいなって昔は思ってたけど、今になって見て案外真理だなって思う。思うように現場に行けない、テレビも見れない、じゃ、仕事のストレスに加えてそのストレスが重なって、さらに追い詰められてた。それ以外にも、大学時代からずっと一人暮らしをしてますと話すと「じゃあ慣れてるんだね」ってよく言われたもんだったけど大学時代の一人暮らしと社会人になってからの一人暮らしは全然違った。大学の時は簡単に考えていたことに、何度も何度もつまずいて、結局折れてしまった一年だった。だから、ねがてぃぶに聞こえると思うけど、本当に、本当に追い込まれて、「これじゃむりだ」っておもったとき、「にげる」選択肢を持っててほしい。それはしごとからかもしれないし、アイドルからかもしれない。ただ、「にげる」ことは恥ずかしいことだって思ったりしないでほしい。きてしまうかもしれないその時のために、「逃げられる」勇気を持っててほしい。なやんだときは必ず、なやんでることを電話でもなんでも「声に出して」相談してほしい。それだけで全然気持ちが違くなる。

 

 わたしはたまりきったストレスにたえられず、しごとをやめて、地元に戻りました。すこしゆっくり過ごして、いくつか現場に行って、この春からまた地元で働きはじめました。慣れない車の運転には四苦八苦しているし、、ざんぎょうこそあるけれど、土日にお休みをいただけて、ジムに通ったり土日にはお弁当の御惣菜をつくったり、なにより地元の友だちと毎週のように顔を合わせて遊べるようになった。来月の予定が少しずつ埋まっていくのが嬉しい。今は覚えることも多いし大変だけど、いつも「ゆっくりでいいから」「ミスしても大丈夫だから」って言ってくれる人たちで、まえのしごとで私たしか、こんなこと言われたことなかったなあなんて思ったり、朝何気なく母に「しごとやめてよかったね」っていわれて「たしかにそうだな」ってうなづいた。

 

 将来の夢はかなえられなかったけど、余暇の時間でなにか、自分を叶えられるようなことが出来たらいいな。

 まえのしごとをしていた時期、何度も何度もしんどい相談に乗ってくれたお友達ありがとうございました…わたしげんきです!今日もとーわちんがかっこよくて最高!いえーい!